即興は誰でもできる。でも舞台は違う。

Photo by OwenHughes
Photo by OwenHughes

<自戒の念を込めて。>

現代口語演劇は、ただだらだらと日常の会話をしているように見えるかもしれないが、実際はそうではなく、演劇空間を創造するための緻密な計算の上に成り立っている。

 

インプロやっている人たちの中には、だらだらなんとなく世間話をすれば、それが即興劇だと思っている人もいるように思える(もちろんそうではない人たちもいる)。

 

しかし舞台はそんなに甘くない。

舞台は、観客のために創造される一寸の無駄もない世界だ。

 

もしそれを即興的に創りあげる度胸があるなら、舞台に立ちたいと思うなら、それなりの技術が必要だ。

 

スポーリンは「誰でも即興はできる」と言った。

しかしそれは「誰でも舞台に上がれる」という意味ではない。

インプロの人たちの、演劇を学ばずに舞台に上がってしまう態度は、結果的に舞台を演劇をなめていると思われてしまう。仮に本人達にその意識がないとしても。

 

もしかしたらインプロの「頑張らない」という考えが影響していているのだろうか。「頑張らない」=「何も起こらないシーン」=「だらだら喋り」になっているのだろうか。

 

「頑張らない」というフレーズは、頑張りすぎる人たち・何かやろうとすることが逆にプレッシャーとなってしまい健康的に発想ができない人たちのために、そのプレッシャーをとくためのフレーズである。中には「もう少し頑張ったほうがいいんじゃないか」という人もいる。

 

また厳密にいうと「頑張らない」ではなく「フローでいる」ことが大事であって、「○○しない」という考え方は、人の能力向上を促進しないことがコーチングの理論などで分かっている。

 

 これは前にも書いたことだが、どうかインプロの指導的な立場の人たちは、ワークショップの参加者に、舞台の意味を教えてあげて欲しい。(それを知らない人は教える立場に立ってはいけない。簡単に演技やインプロの先生になれるなんてことはない。本当に切磋琢磨して才能のある人だけが、それでも謙虚な態度でできる職業だと私は思う)自分が教えた生徒達に責任を持って欲しい。

 

誰でも何でもかんでも舞台に立てるわけではない。そこには準備もスキルも思想も理解も必要だ。「あなたは、まだ舞台に立ってはいけません」と言ってあげなくてはならない。そうでないと、即興だからと言って、まだ舞台に上がる準備ができていない人たちが、易々とインプロの公演をやってしまう。そういう低レベルのインプロをやっている人たちは、そもそも自己満足のためにやっているので、自分たちがやっていることがインプロ業界全体の印象が悪く要因になっていることなど考えもしないだろう。

 

あと今日感じたことなのだが「インプロの公演には演出家が必要」だ。もちろん本番中の舞台上の演出は、俳優達が引き受けなくてはならない。しかしそれでも「演出家」は必要だ。出演者のマンネリやうちわ受けに気がついて、指摘する役割が必要だ。


また「自分たちはうまくいっていない」と感じたら、それを継続してはいけない。誰か面白いことをやっている人たちや信頼できる先生に学びにいく必要がある。別に「私のところにおいで」とは言わない。しかしあまりにナレッジがなさすぎる。キースの本は読んだのだろうか。インプロをどこで学んだのだろうか。なぜこんなことになってしまうのか。私にはわからない。

 

こんなことを書くと、私はまた嫌われる。

でも誰かが言葉にしないとダメでしょうと思う。

 

この言葉は全て自分に跳ね返ってくる。

11月15日にインプロの公演やりますので、ぜひ見にきてください

(結局宣伝か?苦笑)。