指導の声かけを考える

ワークショップや研修などで、先生とか講師とか呼ばれている人に「〇〇ができていない」と指摘され、それを直すために、一生懸命にワークショップや研修に通い続けている人たちをたくさん見てきた。

 

こういう人たちは「ダメだ」と言われて傷ついているようにも見えるが、実は「喜んでいる」ような気もする。言われば言われるほど、その先生や講師から離れられなくなってしまう。体罰をする親を決して疑わない子供のように。

 

もう顔も見たくない講師がいる。彼は「できていない!」と参加者を罵倒することでカリスマになっていった人物だ。彼は言った。「人を依存させるのは簡単さ。催眠術と同じ。」彼は意図的に相手が傷つくようなことを言い、そして相手を依存させていった。この人のおかげで気がおかしくなった人をたくさん見てきた。でもそれでも人は集まる。怒られたくて集まるのだ。

 

言うほうは楽。相手の悪いところを無責任に指摘するだけだから。難しいことを指摘すればするほど、相手は逆らえなくなり混乱してくるから、その姿を見ると余計につけあがって、どんどん指摘が辛辣になる。人間性が悪いんだとか。

 

「あ、この人間違ってるわ」と見抜ける人は離れていく。

 

でも世の中は不思議なことに、怒られることで「自分はダメだこの人について行くんだ自分の殻を破るんだ先生に褒めてもらうんだホントの自分を探すんだ」みたいなことを考えて、ワークショップに延々と通い続けている人たちもいる。

 

褒めてもらいたい褒めてもらいたい褒めてもらいたい。

 

彼らには「お前はできていない!」を言い続ける講師はまさに求めている人である。相思相愛。見事なマリッジが成立する。

 

わたしはこういうビジネスが大っ嫌いだ。

 

 

「〇〇ができていない」というネガティブな注意は、指導者と参加者にヒエラルキーをつくるずるい言い方だと思う。「〇〇はしてはいけない」「〇〇ができていない」という言い方をされても、言われた方は具体的な解決策が見つからない。それがわかっていたらとっくにやってる(苦笑)。

 

コーチの必読書ガルウェイの「インナーゲーム」にもあるけれど、できていない部分だけを指摘されると、逆にできないことに意識が向いてしまい、ますますできなくなる。

 

アドバイスするなら「△△してみよう・やってみたら?」と実際に行動に移せる肯定的で具体的な支持をすべきだ。人ができないことを「できていない」と指摘して先生面する人の中には、自分でもできないくせに、簡単にはできないこと・人格に関わる繊細なことに関して、わざと頭ごなしに「できていない・だからダメなんだ」と非難することによって、相手から「教えてください先生」と言う言葉を言わせ、相手を屈辱して、自分の手下にするという行為をする。これはカルト宗教と似ている。

 

たとえば演劇の世界だと、「殻を破れ」「お前は殻が破れていない」など抽象度の高い概念に関する主観的な感想を、まるで神の声かのように言い放つ演出家がいたりする。それを言うなら「どうやったら殻が破れるか」を具体的にアドバイスするべきだ。それがうまくいかなかったら一緒に試してみて、俳優ができるようになるまで辛抱強くつきあうべきだ。

 

それができないから、ただの感想を言ってるだけ。

 

ちなみにわたしが出会った演出家達は、みな俳優に寄り添い、一緒に探す旅に根気よくつきあってくれたよ(甘やかすと言う意味ではなく)。

 

一方的に相手の弱点を指摘して(しかも他の人が見ている前で)建設的なアドバイスをしない人は怠けている。と思う。

 

こういう人はあなたの弱点を指摘するけれど、あなたを本当に助けようとはしていない。

 

そういう場合もあるから気をつけてね。