媚びて待つだけの時間(昔話)

始まったばかりなのに、2019年の予定は12月まで決まりつつある。まだ1月だというのに、めちゃくちゃ忙しくなること決定。

 

そんな中、かつて私には全く仕事がない時期が長くあった。

誰からも仕事を依頼されない。

誰からも必要とされていない。

自分の代役なら山ほどいる。

そういう時期を長く過ごした。

 

媚びて待つだけの時間。

 

「この時期があったから今の自分がある」

なんて口がさけてもいえないさ(苦笑)。

 

そんな時代のことを思い出したので、

ちょっと書いてみました。

 


30歳代の頃。

バブルがはじけて、

所属していた劇団もはじけて、

ひとりぼっちになった。

 

今までは有名な劇団の看板があったので、

そこに支えられて自分がいた。

でも支えがなくなると、自分にはまったく価値がなくなった。

 

 

なんとか役者として認めてもらいたいとアピールするために

ポートフォリオのようなものを手作りして

制作さんに配ってまわったりした。

 

でも誰からも声はかからなかった。

 

役者としての自分を求めている人は

誰もいないのだと気がついた。

 

ほとんどの人は、似たような体験をして

じょじょに演劇から遠ざかり、

別の場所で、新しい人や価値と出会い、

新しい自分の人生を築いていくのだろう。

賢明だ。

 

でもわたしはなぜか演劇を続けた。

なんで続けたのか。

分からない。

覚えてない。

 

でも確実に言えるのは、

そこに、かっこいい言葉はない

ということ。

 

たとえば

演劇が生き甲斐だからとか

演劇はこころの太陽だからとか

演劇が人生だからとか。

 

ない。

 

かっこよい言葉はなかった。

 

とにかくやりたい。

とにかくやらねば。

とにかくなんとか。

とにかくとにかく。

とにかくさ。

 

もしかしたら

単純に

新しい人や価値に出会えなかった。

その不幸が

演劇に

へばりつかせたのかもしれない。

 

 

しかも芝居の仕事をもらうためには、

演出家に気に入られなくては、

劇団に気に入られなくては、

という気持ちがついてまわった。

 

見に行く芝居の打ち上げにはかならず参加して、

ニコニコして、

エキセントリックなふりをして、

相手に話しを合わせて、

さりげなく

自分を知ってもらう。

さりげなく

芝居に出たいをアピールする。

 

媚びた態度。

 

そんなことしなくても、

魅力ある人たちは次々と声がかかり、

次々と芝居に出演していった。

 

そんな媚びた態度。

そりゃしたくないさ。

でもその頃のわたしは必死だった。

なにせ代わりはいくらでもいる程度の自分だから。

価値がない自分だから。

なんとか拾ってもらうために。

 

そして

待ち時間。

 

仕事の依頼がくるのを待つだけの時間。

まったく生産性のない時間。

それが長く続いた。

 

 

しばらくして、

いくつかの演出家や劇団に拾ってもらって、

芝居を続けることができた。

 

おかげでなんとか

自分のことを「役者です」と

言い続けることができる。

 

でもね。

しかし私は知っている。

それは私じゃなくてもいいポジション。

自分の代わりになる役者さんは山ほどいることを。

 

わたしはたまたま、その仕事をもらえただけで

別の人がやっても、世の中はほとんど変わらない。

 

しばらくして、

いつもお世話になっている方から

「シアタースポーツ」っていうのがあって

日本に初めて上陸するんだけど

参加してみない?

と声をかけてもらった。

 

声をかけた相手は、

きっと私じゃなくてもよい。

人が集まれば、誰でもよい。

に違いなかった。

 

でも参加することにした。

(ひまだったから)

なんの期待もなかった。

 

それなのに。

そこから私の人生は大きく変化していった。

 

媚びも

待ち時間も

そこにはなかったのに。