スタニスラフスキーシステムを学んでいて_その2

今回のWSを受けて、わたしは自らが演技習得のための人体実験しているような感覚がありました。

参加していろいろやっているときに、自分がどのような風に感じ考え/影響を受けるか。

特に昔の自分=演技をどうやったらいいか全く分からなかった頃の、との比較をしていたように思います。

 

あきらかに即興を学んだ自分はメタ認知が育っていると思うし、それと同時にモーメントに飛び込めるようにもなっているようにも感じます。相手から影響を受けることによって、急に感情を変えること、目的を明確に設定して、それをサブテキストにもっていながらセリフをいうこと、急に目的を変えること、目的が達成されなかったときの気持ちに恐怖なく飛び込めること。外側から見たらどうなのか分からないので、バーターさんにそこを指摘してもらいたかったですけれど(苦笑)。

 

この感覚をなんとか言語化して、日本人に適したエクササイズが見つかれば、言葉にしばられている若い役者さんたち/感情論に陥り戯曲分析ができない年配の役者さんたちの助けになるのにな〜。

 

いろいろな演出家と仕事をしてきて、前から感じているのですが、楽しいウォーミングアップ的なエクササイズと、戯曲に入ってからの稽古との間に、トレーニングの飛躍があると感じます。その間にもう1セクション必要。ウォーミングアップとテキスト稽古を橋渡しする理論と実践のナレッジが弱いと感じます。

 

もしかしたらわたしが出会っていない演出家はそこのスキルもあるのかもしれませんが(まぁこういうことを考えるのは、演出家というより、演技コーチみたいな役割ですけれど)、ウォーミングアップで楽しそうに解放していた役者が、テキストに入るとたちまち硬直してしまう様子を、今回だけではなく何度も見てきました。

 

演出側にもテキスト稽古になると「演出のアドバイスを手掛かりになんどもやってみる」ぐらいしか稽古ネタがない。みたいな?

 

そこに手法がもっとあるといいのに。

しかも演出家の顔色を伺うのではなく、役者が自主的に考え動けるようなやり方で。

 

そうでないと、いつまでも役者は主体性がなく(自分で考えず)、演出家の言われるままに動くロボットみたいになっちゃうし、そうだとしたら「ロボットのほうがいいよね」ということにもなりかねない。(わたしはそうはなって欲しくないし、役者という存在には魅力があると思っている)