「直接」ではなく「場」に対する貢献

この年齢になると「自分がどうするか」というよりも

自分という資質を使って、どのように社会に貢献していくかの方が

人生の悩み(?)となる。若い時には考えもしなかったけれど。

 

清水博先生は人生の師匠。

先生の「場の思想」は、迷える私にいつも「こっちだよ」というヒントをくださる。

 

今「与贈」を考えている。

自分はどのように「与贈」できるのだろうか。

 

例えば、私はたくさんのワークショップをしてきた。

インプロの面白さや、それを体験した人々の魅力が引き出され

それぞれがおもろい人生を過ごしてもらいたいと願って。

 

それは小さな活動でしかない。

そして時々虚しくなったりもする。

インプロの価値は、ヒトに宿る。

ヒトは移動する。歳をとる。

出会ったヒトたちのほとんどは、私の人生にちょっと関わって、

そして自分自身の人生のロードに従って離れていく。

 

大勢の人たちが「インプロ面白い」と思って私のもとを訪ね、

そして2度と訪れない。私は「場」を持っていないし、ヒトを囲い込むこともしたくないので、ヒトを引き止めることはしない。むしろそれぞれがそれぞれの人生の主人公として生きるべきだと思っている。

 

でもちょっと虚しくなることもあるのよね〜。

 

この悩みの解決のひとつのヒントとして、小山龍介さんがご自身のブログで書いておられた文章を目にした「直接的な贈与」ではなく、「〈場〉を経由した贈与」が負債感を小さくする

という文章である。

 

私はもしかしたら「直接的な贈与」をしてきたかもしれない。

そして<場>という概念を意識したことはなかった。

むしろわざと<場>を作らないようにしてきた。

 

しかし今後はもっと工夫できることがあるのではないかと思う。

なぜなら「自分の虚しさ」が、社会に貢献できることだとは思えないからだ。

 

なんらかの突破口。

なんらかの工夫。

なんらかのオモロイこと。

 

それらを考えていきたい。

そして行動に移す。

 

そんなことを考えています。