しあすぽを振り返り

演劇大学連盟「シアタースポーツ」絶賛終了しました!

連日集客率100%以上の大入り満員でした。1000人以上の方々にご覧いただきました。ご来場いただいた皆様&応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!何よりも「即興演劇」を観たことのないお客様に多く起こしいただき楽しんでいただけたこと、演劇関係者の方々に「即興劇」を知っていただけたことが素直に嬉しいです。ありがとうございました!!!!


コーチの立場から

私の役目は、学生キャストが「インプロ」できるように教えるだけではなく、「シアターイースト」という劇場で堂々と演技ができるように指導することでした。インプロを知らない/やったことがない学生が出演者の半分以上いて、舞台に立った経験のない学生が出演者の三分の一いました。彼らを舞台に上げるための稽古時間はわずか1ヶ月〜!どっひゃ〜!  わたしは後悔したくないタイプ。彼らを仕上げるための工夫は、できる限りやろうと思っていました。そのために時間も気力も体力もお金もすべて捧げようと。ほ〜んといろいろ工夫しました。それについてはいつかまたまとめて書きます。

今回の「シアスポ」が生まれた経緯

忘れないうちに書いておきます。自分への備忘録です。

1)当初。

「シアタースポーツって何だ?」「そんなものが見世物になるのか」「ただの稽古風景、エチュードをみせられちゃかなわないよ」「なんだかよく分からない。こんなのお客さんからお金をとることできない」「シアターイーストという劇場でやる価値があるんか?」「絹川ってだれ?」などとそうとうネガティブな発言パンチを浴びせかけられました。たくさんパワポで資料つくりました。何度もプレゼン説明しました。その度にネガティブパーンチ!正直ゲロ吐きそうになりました。「だったら辞めてやる〜!」と言いたい気持ちになりました(苦笑)。

 

しかも参加した学生たちも、最初は疑惑ばかり。今回の学生さんたちは演劇を学んでいるとはいえ、別々のメソッドや哲学の演技教育を受けているので、考え方や態度がまったく異なります。(まるで別人種!)彼らをどう1つのチームとしてまとめていくかは大きな課題でした。さらに東京という競争の激しい批評的なシビアな場所で、基本的には「台本ありき」の教育を受けています。「本当に我々の即興劇がお金をいただく価値の内容になるのか=無理じゃないか」という声を何度ダイレクトに言われたことか。海外での「シアタースポーツ」の盛り上がりも、素晴らしいパフォーマンスも、アメリカでの成功も観たことがないのですから仕方がありません。前例が無いことに対して「やってみよう」と思ってもらうことは大変でした。私は不安や不信がる学生たちに「大丈夫。本番はぜ〜ったい楽しいから。保証する。約束する。太鼓判おす。信じて!」と言い続けました。

 

2)稽古の中で。

しかしそれが稽古をやっていく中で、日本の演劇界のアドバイザーの先生や若い学生たちの感性によって、ほぐされ、読み直され、再解釈され再構築されていったことは、大変に意義があることだと思います。(ネガティブな発言をしていた方々も千秋楽には「シアタースポーツっていいね〜!」とおっしゃっていましたし)

 

3)「シアタースポーツ」の再理解と再構築

私の責任/力不足であります。海外でやっている「シアタースポーツ」をそのまま日本でやっている私には「即興を見たことがない日本のお客さん」への視点が欠けており、そこに気がつくことがとても困難でした。しかしそれをプロダクションメンバーが教えてくださいました。例えば、英語でいう「タイトル」は日本語ではいろいろな意味があります。ですから私が「タイトルをください」というと、日本のお客様は「タイトルってどっちの意味?」ということになります。また「チャレンジ制度」と「ラウンド制度」が両方あることも分かりづらいです(日本の演劇ではそういう区分けがないので)。この言葉の整理も、今回は何度も検討されました。また本来のシアタースポーツでは「ゲームを選ぶ」ということはしません。本当はゲームではなく「シーン(つまり劇)」を作ることが目的です。しかし日本のお客さんにいきなりそれを見せることも、出演者にその即興的な選択をさせることも、今回のレベルでは厳しいと考えました。お客さんは理解できないし、出演者もそこまでの柔軟性を持つところまでは至らないだろう。今回は事前にプロダクションメンバー全体に対して「本当のシアタースポーツはもっと自由度が高く、その場での即興性が高い。しかし今回はそこまではできないだろうから、ゲームの選択でラウンドを進めることにします」と説明をしました。この辺り、本場のシアタースポーツをご覧になったことのあるお客様は、今回のシアスポをご覧になって「シアタースポーツはゲームを選ぶことじゃない」などと非難したい気持ちもおありでしょうが、こちらはすでにそれらを承知した上で、今回の判断があります。

4)規模が大きかったことの利点。

こうやって厳密にかつ繊細に考えていかなくてはならないことやそのための厳しさは、この規模のプロダクションにならないと要求されないことでもあります。小さなキャパの劇場やバーで上演するのであれば、ここまでの精度やクオリティは求められないでしょう。今回ここまでのバジェットと人材のボリュームで上演することになったことで、西欧の匂いがプンプンする「シアタースポーツ」が日本の観客に受け入れられるための配慮を要求され、そこで今回の「シアタースポーツ」が生まれたと言っても過言ではありません。この過程においては、自尊心を傷つけられる体験を何度もしましたが、今はやって良かった/最後まで続けて良かったと思えます。

5)学生さん達のクリエーション!

 さらに若い学生さんたちの「こうやったら面白んじゃないか」というアイデアによって、舞台装置や衣装が創られました。こちらも西欧の「シアタースポーツ」をご覧になっている人にとっては、やりすぎだと思われるかもしれませんが、プロダクションの位置付けやボリュームによって、これらがなされたことを理解しウエルカムな気持ちをもってくださるといいなと思います。

 

6)課題

本当にラウンド4まで決めてしまって良かったのか。ラウンド1を1分間チャレンジにしたのが本当に良かったのかという点。ゲームの選択はどうだったのかと言う点。学生さんたちの魅力を本当に引き出せるフォーマットだったのか。ここはさんざん悩んだ点でもあったし、最後まで自分の中で結論が出なかった点でもあります。嘘をつかない演技のできる学生さんやアイデアが面白い学生さんがいたが、今回のフォーマットでそれを出せたかは悔いが残る点です。小さなプロダクションであれば、当日の変更もできるでしょうが、ここまで大きいプロダクションだとすべては前倒しで決めていかなくてはならず、直前の変更も難しかった。もし私が大物だったら、例えば黒澤明のようだったら「山を動かせ!」と言えるのでしょうが、ケツの穴が小さい小心者の私には、スタッフさんに無理をいう勇気がなく、大きく変更はしませんでした。

千秋楽のできに関して、コーチとしての私は、学生の創作した劇のクオリティに対して「もっとできたよね〜」という気持ちが残りました。指導者としてたくさんの課題が見えてきた公演でした。千秋楽は、学生が「勝ちたい」という気持ちが強かったり、すでに気持ちが緩みすぎていたり、観客とうまくコミュニケーションが取れなかったり、それらの要因によって劇に集中できていない感じがしました。プレッシャーの中でどのようにパフォーマーが自分たちの魅力を最大限に出すことができるか。それをどう指導していったらいいか。例えばキースジョンストンが真珠のような名言を残していますが、それが日本の若者たちに伝わるかというとそれはまた別の話です。ここをどう工夫していくか。これはまだまだ私の課題です。(ちなみに自分たちで劇場を持ち、批判もされない環境でインプロをやっている西欧人たちは「まぁ上手くできなくてもいいよね〜。ダメなショーもあるよね〜」という考え方があります。しかし私は東京でインプロをする場合、その考え方ではダメだと思っています。これは演劇人として絶対に譲れない部分です。)

7)個人的なハイライト

個人的なハイライトは、24年前私に「シアタースポーツ」を紹介してくださった奈良橋陽子さんが、この「シアタースポーツ」を観てくださったことです。陽子さんが紹介しなければ「シアタースポーツ」が日本に上陸することも、その後の「インプロ」の広がりも無かったかもしれません。この「シアタースポーツ」が上演された後、陽子さんが集めたメンバーはそれぞれの形で「シアタースポーツ」を継続させていき、私は海外に飛んで「シアタースポーツ」をさらに解読し「インプロ」という上位概念として紹介し、さまざまなインプロのスタイルやトレーニング方法を紹介するためのワークショップを多々していきました。そこから教育関係者やビジネス関係者への「応用インプロ」も広がっていきました。ここまでの発展に陽子さんの存在は欠かせません!陽子さんがまいた「シアタースポーツ」というタネが「シアターイースト」で花開いたとも言えます。その様子を見ていただき本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。今回のジャッジとしての出演オファーをしたとき、陽子さんはLAで映画のお仕事をされていました。昨日お会いした時も「これからまた海外に行かなくちゃならない」とおっしゃっていました。そんな忙しい中に来てくださったことに、心の底から感謝しています(書いていても泣いてしまう〜)。本番で陽子さんを紹介したときも、わたし泣いちゃった。泣くつもりはもちろんなかったんだけど。本当に心は感謝でいっぱいです。