面白いインプロ・プレーヤーとは?

「相手を輝かせなさい」という危険な呪文

 私は「もっと面白いインプロプレーヤーが増えるといいな〜」と思う。どうしたら我々は魅力的なパフォーマーになれるのでしょうか?

 

今日の話題は、海外では結構いろいろな人が議論している話題ですが、日本では疑いなく美しい態度だと思い込まれている「相手を輝かせなさい」という言葉について考えてみます。

 

インプロではよく「相手を輝かせなさい」という。

インプロの講師が好んで使うアドバイスです。

 

講師にとって、この言葉は使い勝手がいいです。なぜなら「相手を輝かせなさい」という言葉によって、参加者に「ああ、なんて自分は自分のことしか考えていなかったんだろう」と反省させることができるから。相手にあなたは自分のことばかり考えている自己中心的な人ですよ」というショックを婉曲的に与えることができるから。

 

「相手を輝かせなさい」という言葉は、「相手を大事にしよう」とか「相手を尊重しよう」とか、そういう素敵な気持ちにさせるのに効果的。「人類みな兄弟」みたいな。

 

しかし本当にそれでいいのだろうか?

 

私はたくさんのインプロのショーを見て来ました。海外でも日本でも(最近は日本のショーはほとんど見なくなってしまって、これ反省)。そこでよく目撃するプレーヤーの姿は、舞台のそでで、穴のあくほど相手役を見ている/気にしている姿。そういう「相手を気にしている」プレーヤーに何ができるかというと、始終相手にアイコンタクトを求めて、相手が何をしたいかを推測して(そんなの分かるわけがないのに)、「何かお手伝いをしましょうか」というニュアンスでオロオロすることばかり(自分ではオロオロしている自覚はおそらくない)。

 

こういうプレーヤーに面白いシーンが創作できるわけはない。相手を輝かせようとして、自分がぜんぜん輝いていないから。そもそも自立できていない。自分から発信できない。実は、こういうプレーヤーは結構多いように思う。

 

そして、こういうプレーヤーに限って、こう言う。

「私は自分が輝くのではなく、相手を輝かせようとしているのだ」と。

 

でも、これってなんか偽善的な匂いがするんだなぁ〜。

なんか「自分から発信できない」ことの言い訳にしか聞こえないんだけれどなぁ〜。。。。

 

この言葉を声高に言う海外のインプロの先生たちに限って、パフォーマーとしていけてない人が多いのは、気のせいかなぁ〜。。。

 

私がかっこいいなと思うインプロバイザーは「自分が輝いて、かつ結果的に相手も輝かせられる」プレーヤー。

 

相手の顔色を気にせず、面白いと思ったところに飛び込んでいき、架空の世界を創作できるプレーヤー。自立しているプレーヤー。そういうプレーヤーが自分勝手かというと、そうではない。相手が出て来たら、喜んでその遊びに加わる。相手がやることを、ひょひょいとイエスアンドで広げていける。ただしサポートしすぎない部分つまり「相手を大事にしすぎない」ことも大事で、相手が「え〜そうくるの〜!?」と、びっくりするようなことも平気でしでかすことができる。こういうプレーヤーはすごく面白い。

 

イングリッシュラバーズのジェイコブやジム、オーカスアイランドプロジェクトのメンバー、トロントのセカンドシティ関係者たちはそういうパフォーマー。

 

ちなみに、この問題に関してはシカゴ・セカンドシティの演出家であり、すんばらしいインプロバイザーのミック・ネイピアーが著書「Improvised inside out」で指摘している部分でもある。「相手を輝かせる前に、自分が輝いくべきだ」とニックはいう。またインプロでありがちな「名言」に囚われて、それを「しなくてはならない/ねばならない」ということばかりに気を取られ、それを舞台で行なってしまう悪い癖が、多くのインプロバイザーにあると指摘している。

 

ミックが主催している「Annoience Theatre」のサイトはこちら

 

以下は勝手な推測だけれど、アメリカやカナダで発展したインプロは、おそらく個人主義のアメリカ人の「自分を大事にする」「自分を主張する」ことが強すぎるために、相手を大事にすること/尊重することがおろそかになってしまいがちなので、それを修正するために「相手を輝かせましょう」という「標識」ができたのではないだろうか。この標識があれば、自分のことしか考えない人でも、「そういえば相手がいた」ということに気がつくことができるから。そういう意味で生まれた言葉なんじゃないのかな〜。

 

我々日本人は(と一絡げに言うことは多分ナンセンスなんだろうけれど)、もともと「ものすごく周り近所に気を使う」人種だと言われており、気遣いができる人が比較的多いと言われており、近年の若者はとくに「周りの友達の出方を伺ってからでないと、自分のことを言い出すことができない。できるだけ突出しないようにしなくてはならない」という意識が強いと言われており。そういった人たちが、西洋の「自分自分自分!」という考え方を根本に持っている人の標識に従っていいのだろうか。

 

まぁ日本人は、外国語の本来の意味を知ろうとするよりも、外国語が日本語になった途端に、日本流にその言葉を解釈して、自分たち流に使っていくことのほうが得意なようなので、きっと「相手を輝かせなさい」という言葉も、自分たち流に解釈して、都合のいいように使っていくのだろうけれども。

 

でもな〜。

本当にそれでいいのだろうか〜?

 

もちろん、相手は無視していい。自分だけが輝けばいい。

ということがいいとは思っていない。

 

わたしは相手のことばかり考えて、自分のことをおろそかにしていたら、面白いパフォーマーにはなれないんじゃないかなということが言いたいだけっす。

 

そして、もっと面白いパフォーマーが増えればいいのになぁ〜と願っているだけっす。