インプロを体験して「楽しい!」と感じた人の中には、すぐさま「私もインプロをやろう!」と考えてしまう人も少なくない。特に教員の方々。インプロの「ゲーム」を子供達にやらせようとしてしまうことは悪いことだとは思わない。ただちょっと残念だと思う。
インプロが誤解されているし、インプロの本質的な部分が使われていないからである。
以下3つの理由を考えました。
1)これだと「インプロをやること」が目的になってしまう。本来「インプロをやることそのもの」が目的ではなく、「インプロを通して」何を成し遂げたいか/伝えたいかの方が大事では。プログラムはアウトカム(目的)から考えて、そこから細い内容を考えるのが妥当だと思う。つまり「インプロのゲーム」は、目的を達成するためのあくまでもツール。目的でない。
2)インプロはステイトメントとしての学びが一番普遍的に大事だと思う。ステイトメントとは「存在」のこと。インプロには「ゲーム」があり、それは教育領域で「ツール」として使える(こともある)。しかしインプロ=ゲームではない。インプロを学ぶことによって、「自らが、即興的/創造的対応ができるようになる」ことが大事なポイント。つまりインプロは授業のネタだけではなく、「教師そもののの存在を変容/滋養/発達させることができる可能性を持っている。
3)楽しいことをやりたいなら、レクリエーションのゲームをやっても同じ。リクリエーションとインプロの大きな違いは、教師の存在自体がインプロ的になることで、通常の教科の授業でも、インプロ的な発想やアプローチができる可能性があるということ。
私はこの「即興的ステイトメント」がどのようにしたら身につくかを考えたいと思っています。
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