教育で「インプロ」が使われる時の違和感。

最近、教育関係者から「インプロを使った」「インプロのワークショップをした」などの報告を、さまざまな媒体で目に耳にするようになりました。教育現場で「インプロ」という言葉を聞くとき、論文を読むとき、ワークショップを拝見するとき、日本にインプロを紹介してきた一人として、インプロの公演をしているパフォーマーとして、インプロを使って指導をしている立場として、こう感じます。


「インプロ」という言葉が広まってきて良かったな〜。

いろいろ使われているようで良かったな〜。

人のためになっているようで良かったな〜。


しかし反面、ある意味での「違和感」をどうしても感じてしまいます。

それは「インプロ」が誤解されている。誤訳されている。ということです。


ぶっちゃけ言いますと、

「インプロすること(ここでは即興演劇)」と「インプロのエクササイズを使うこと」は、ごっちゃに使われているような気がします。

特に教育者の中で「ごっちゃ感」は強いように見受けられます。


(注:わたしは単に「インプロ」の誤訳に違和感を感じているだけであって、他者の活動をとやかく言っているのではありません。)


教育現場で、アイスブレークやコミュニケーションのために使われているのは「インプロのゲーム」であって、即興演劇(インプロ)そのものではありません。使われているゲームは「インプロ」の全容からすると、ウォーミングアップ・レベルのもの。ちなみにインプロで言う「ゲーム」とは、「インプロができるようになるための”エクササイズ”」です。


サッカーに例えてみましょう。

サッカーをするときに「ランニング」は必要です。けれど「ランニング」=「サッカー」とは言えません。それと似ていて、教育者は「インプロ」でいう「ランニング」を「インプロ」という名前で読んでいます。


「インプロ」は「演劇」のジャンルに入ります。観客のために演じられるエンターテイメントです。それ以外の領域に使う場合、それは「応用」になりますので、「応用インプロ」と言ってもいいかもしれません。


ちなみに海外ではApplied Improvisationという名前で、いわゆる演劇としてのインプロとインプロを応用的に使うものをしっかり区別していますし、使う側も、きちっとそれを理解しています。


日本では、すべてが「ごっちゃ」。

すべてが「あいまい」。。。。


これでは「本質」を突き詰めて、新しいものを発見することは難しいでしょう。

たとえば本当に教育に活かすためのメソッドや考え方を生み出していくためには、このような「あいまいさ」に足を取られる可能性はなきにしもあらずです。


提案としては、

「演劇」で例えると、「演劇」を社会的教育的に利用する時に「応用演劇」と言います。それと同じようにはっきりした棲み分けが必要ではないでしょうか。


「自分達はインプロをしているのではなく、インプロの練習の要素を使って、それを教育に活かそうとしている」ということ。それはあくまでも「応用インプロ」。「自分はインプロをやっている」という幻想から自分を解き放ち、「インプロの練習を応用させてもらっている」というスタンスを意識し、もっと上位の目的ー教育に焦点をあてていくこと。このように、本当の目的を明確にすることで、「インプロ」という概念的な言葉に左右されずに、ホントの意味での教育メソッドが生み出されるのではないでしょうか。


せめて「インプロ」という言葉を使って仕事をしている方々が、その辺りを明確に理解してから、お仕事をされることを強く願います。


なお、こういうことは勉強すれば分かることなので、「インプロ」という言葉を使ってお仕事をされている方々は、自分が今もっている知識が「完璧」だと思わないで、どんどん勉強していっていただけるといいなと強く願います。