よわい心, つよい心

すごくプライベートなことなのですが、、。

父が自宅の階段から落ちて、
首の骨を折る大けがをしました。

一時は「命」を亡くす可能性もあったのですが、
幸いなことに2回目の手術も成功で、
ようやくリハビリも開始されました。

そんなこんなで、わたしの11月は、
病院に泊まる時間がメインになり、
隙間時間でそれ以外のことをしていました。
そんな中、とても心を動かされた講演を伺いました。

 

 


今日はそのことについて
書きたいと思います。

先日東京工科大学で、
作業療法士対象「認知症に対する集団作業療法」が行われました。
わたしは去年に続き2度目の登場と成りました。

「作業療法」や「認知症」と、インプロにどんな関わりがあるのだろうと
疑問に思われる方も多いと思います。

簡単に述べますと、病院で患者さんに関わる作業療法士さんたちは、
様々な患者さんと関わるお仕事ですので、「即興的」な対応力が必要です。
しかも認知症の患者さんは、否定されると症状が悪化する傾向があり、
対応には「イエスアンド」が効果的だと臨床的に言われているようです。
これらの理由で、去年にワークショップを行ったところ、
非常に好評をいただきまして、今年もリクエストをいただいたのでした。

今年も去年に続き、この3名が登壇しました。
?茨城県立健康プラザ 大田仁史先生
?結城病院 川口淳一先生
?インプロワークス 絹川友梨

今日は、最初に登壇した大田先生の講演内容について書きたいのですが、
その前に、わたしと川口さんのことを述べます。

結城病院の川口先生は、20年来の友人で、わたしが初めて公共団体から
依頼された高知でのワークショップでご一緒させていただきました。
オーガナイザーの衛紀生さん(現在:可児市創造センター館長)が、
まだワークショップを始めたばかりのわたしに「やってみないか」と
チャンスをくださいました。ただ心もとなかったのでしょう、
川口さんをアシスタントに加えてくださいました。その頃、彼は老人や
障害者の方々と「演劇」を通して生活を豊かにする活動をしていました。
作業療法士が、演劇を通した活動をしているのはとても珍しく、
ワークショップに引っ張りだこの方でした。
ワークショプを見学させてもらって、彼の大きさと暖かさにびっくりし、
考え方に大きく共感したことを今でも覚えています。
その後、彼は茨城の結城病院に移り、作業療法士の育成に勤しんでいます。
その中での今回の再会です。

さて今回の川口さんの発表では、自らが集団療法を行っている場面を
見てもらい、瞬間に起こる参加者の状態をピックアップする(即興性)について、
具体的に語っておられました。
この「一瞬」を見逃さずに、問題にアプローチが出来る人は
多くないんだよなぁ〜と思いながら聞いていました。

さて今回は、それに加えて、大田先生の講演を伺うことができました。
茨城県立健康プラザの大田先生の講義
「臨床現場における集団の意義と価値〜心を動かす「集団」の場づくり〜」です。

大田先生は初めてお目にかかったのですが、
まるで「福の神」みたい〜!
80歳近い大先生なのに、ものすごくチャーミングな笑顔〜!
そしてとても印象的な話をしてくださいました。

今回は、この大田先生がしてくださったお話をまとめます。
例えば障害を持った人が家族におられる方がたには
もしかしたら、相手への理解に役立つかもしれないなと思いまして、
今回、掲載させていただきます。

大田先生の講演会
「臨床現場における集団の意義と価値〜心を動かす「集団」の場づくり〜」

まず「心」について。
石川啄木や細川宏の詩に、
「心」について語ったものがあります。

障害を負う、病気になる。
そういう時、人は弱い心になってしまう。
では強い心、弱い心とは何でしょうか?

?強い心とは、これからのことが考えられること。
?弱い心とは、これからのことを考えられないこと。

障害のある人たちは「心が弱って」います。
そして障害のある方々の苦しみは2つあります。

1)他人に苦しめられる苦しみ
2)自分の中から出てくる苦しみ(南雲)。

1)他人に苦しめられる苦しみは、いわば社会的に孤立してしまうこと。
そこには4つのバリアがあります。
1.物理的
2.制度的
3.文化・情報
4.意識(心)

2)自分の中から出てくる苦しみは、いわば活動の気力を失ってしまうことで、
7つあリます。
1.生活感覚の戸惑い
2.社会的孤立と孤独感
3.役割感の喪失
4.目標の変更ないしは喪失
5.獲得された無力感(自分の無力を、痛いほど感じさせられた)
6.見えない可能性(可能性が見えない)
7.障害の悪化や再発の不安

ではこのように苦しんでいる方々のために、我々は何ができるのでしょうか。

<元気を取り戻す条件>
?良い仲間と出会うこと
?自分を客観視することができること
?将来を考えられること、
?関心ごとを見出すこと
?情緒的に支えてくれる人がいること
?
一人では元気は出てこない。と大田先生はおっしゃいます。
人間には、他者(仲間)が必要なのです。

ここで大きな効果が期待されるのが「集団訓練」です。
「集団訓練」とは、リハビリテーションの手法の一つであり、
患者と療法士が「集団」を形成し、そこで治療を施すことであり、
大きな成果を出していたそうです。

しかし2000年の介護保険法の改正と、2006年の厚労省の通達によって、
「リハビリテーションはマンツーマンで行うもの」というような
イメージが定着してしまったことによって、「集団訓練」は
あまり行われなくなってしまいました。今「集団訓練」の大事さを、
もう一度見直そうという意識が高まっているそうです。

仲間でいることの大事さ。
生き物は、群れをなすことで、学び、成長し、助け合っています。
つまり「集団」を形成する事は、生き物の根源的なあり方です。
それは人間にとっても同じこと。集団訓練のもっとも大きな強みは
「仲間という社会」の中で訓練ができることだと言えます。
仲間と出会い、交流することによって学びいやされ元気になっていくのです。

大田先生は「集団訓練」によって期待される効果について、
こうおっしゃいました。

?苦しんでいるのは自分一人ではないとわかる。
?人の姿を見て、安心することができる。
?先輩の行動や話を見聞きして、将来のことを考えらえる。
?身体の不安を解消できる。生きていく道が見えてくる。
?大勢の中で認められると、自信や元気がでてくる。
?人生を前向きに考えられる用意になる。
?社会参加のきっかけになる。など

このお話を伺って、わたしは父のいる病院を訪ねました。
その頃の父は、個室に寝たきりで、首を大きなマシーンで固定されており、
その恐怖や痛みから混乱して叫びだしたりしてしまうため、
拘束衣を着せられることもありました。

わたしは一人ぼっちでいる父に、病院で会った人たちの事を話しました。
「隣の病室にはね、腕と足を折っている若い患者さんがいるんだよ。」
「さっきテレビの部屋に行ったら、腰に大きなコルセットをした
おじさんがテレビを見ていたよ。」とか。
できるだけ「外にいる人たち」のことをイメージして欲しいと思ったのです。

そんな話をしていた時のこと。
見たこともない患者さん(初老の男性)が、病室に入ってきました。
挨拶もせずに、部屋のあちこちを見回って何かを探しています。
一瞬、認知症の患者さんなのかなと思いました。
何しろ挨拶も何も言わないで、まるで自分の病室のように入ってきたので。

「どうしました?」と聞くと
「さっきライターを忘れちゃって〜」とおっしゃる。
「でも、この部屋にはいらっしゃったことはありませんよね?」と私。

返事がないので、話題を変えて
「ははぁ、ライターをお探しということは、こっそりタバコですか?
看護婦さんに怒られますよ〜。ははは」と言いました。

すると、その患者さんが
「いやぁ〜タバコは辞められませんよ〜。私の年ではね〜。
だからこっそり吸おうと思って、ライターを持ってきたんだけど、どっかになくしちゃって」

すると、さっきからずっと黙ったままだった父が突然、
「いやぁ〜、我々の世代は、タバコは辞められないよなあ〜」と
笑い出しました。
久々に見た父の笑顔でした。

父はチェーンスモーカーでしたが、動けない身になって、
吸いたいタバコももちろん厳禁。仕方ないけれど辛い。
しかし吸いたいと言えば怒られる。

そんな時とつぜん現れた訪問者が、自分の気持ちを代弁してくれたのです。

わたしは、心で手を合わせました。
あなたのような“共感する仲間”が、父には必要なのです!

その後そのおじさんは、ハッと気づいて
「あれ?隣の部屋と間違えちゃった!なんか変だと思ったんですけど〜。
ははは〜ごめんね〜」と去っていきました。

「いえいえ、また遊びに来てくださいね〜!」
背中ごしに呼びかけました。

どこの誰だか知らなくてもいい。
お互いの辛い境遇を分かち合うだけで
どんなに気持ちは軽くなるでしょう。

人間同士にはそういう力があると思います。
孤立してしまいがちな世の中ですが、
実はそういう横のつながりが必要だし、
積極的にそういう場を作っていけるといいなぁと
思いました。

師走の忙しい時が過ぎて
新年を迎えるにあたって、
自分の周りにいる人々と
ぜひ語りあい、関わり合う時間を
作ってみてくださいね。

みなさまに、
素晴らしい新年が訪れますように